かつての日本人には、「義憤」がありました。この義憤という言葉は、死語になったかのごとく、近頃は耳にすることがありません。そもそも義憤を覚えることがなくなった、というのが最大の理由かもしれません。それはそれでいいではないか、という見方もありますが、義憤を呼び覚ます然るべき魂が抜けているともいえます。
世界がどうあるべきか、日本がどうあるべきか、また、日本人がどうあるべきか、自分がどうあるべきか、を真剣に考えることで、自身の魂に接触することがあります。
七沢先生のお話では、この義憤を呼び起こす魂が、「荒魂(あらみたま)」だそうです。現在の日本人からは、荒魂が抜けています。「あらみたま」の「あら」には「新」の意味も入っています。荒々しさから新しいものが生まれるという意味で「新魂」と表現されることもあります。最近は日本発の新しいものも減ったような感じがします。
一方、義憤という言葉が意味するように、「憤り」がないから平和かというと、そうでもありません。普段のニュースを見ているとよくわかります。日本人からは、荒魂だけでなく、やさしさや平和を司る「和魂(にぎみたま)」も抜けています。荒魂と和魂は、神の霊魂が持つ二つの側面といわれますが、この二つが抜けると正に腑抜けの状態になります。
腑抜けの状態になると、自分の意志でものを考え、行動することができなくなります。環境任せになり、常にコントロールされた状態となります。荒魂を持って立ち上がる日本人が必要です。