2011年11月22日火曜日

日本語と量子力学

どのような状況であっても、言葉を発した瞬間に事態は変化します。

どの言葉がどのような現実を作ったのか、検証できる/できないの問題ではありません。発せられた言葉自体が、すでに言霊として実現しているのです。

一方、日本語には「宣(の)り直し」があります。どのような言葉を発しても、それを別の言葉で言い直すことができます。

散々理屈を並べて「・・・である」という結論を出したにもかかわらず、「・・・である、けれども」と、これまでの論説をひっくり返すことができます。

「A but B」と対比的に用いるのではなく、A⇔Bを含めた全体像を上から俯瞰して丸ごと変えてしまうという意味です。
※A、Bはそれぞれ異なる文章の意。

ベンツという車作りのコンセプトは20年変わらないそうです。しかし、日本の車はどんどん変わります。

西洋をはじめとする一神教の考え方では、一度理屈(論理)を決めたら、なかなかそれを変えることができません。しかし、多神教では、どれも真実となります。

アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言いましたが、日本語は振ります。量子力学の世界と日本語の使い方はよく似ている感じがします。

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