2012年2月7日火曜日

植芝盛平と天之浮船(2)

ブログ「音に聞く」に「言霊と合気道」というテーマで、小笠原孝次先生の原稿が掲載されています。(現在は更新されていないようです)
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植芝盛平氏が筆者に斯う云った「合気道は伊耶那岐神、伊耶那美神の天の浮橋の神わざである。私はこれを日本の武道の精髄として世界に示す。言霊布斗麻邇は同じく岐美二神の神わざである。小笠原君はこれを神道の理論として開顕する。形と霊、肉体と心と云ふあらはし方の異いはあるが、両者は一つのことの裏と表だ。私は学問は不得手だから、そっちの方は貴方にお任せする、提携呼応して行こう。」

古来日本の武道は何れも絶対の立場に立っている。禅が背景であったためであろう。柳生の剣も、宮本武蔵の剣も、対立を絶した不動明王の剣の姿は出なかったのではあるまいか、峻厳な彼らの生活態度の上からそのように想像される。剣は権であった。その権は時の権力に結び付いた。この武道の絶対性を乗り越えて主格相対の関係として、無骨な武道を優雅な舞踊の境域まで高めて、武道即神道を唱道した植芝翁の功績は大きい。武道に於けるアインシュタイン的転換である。

植芝氏と筆者の因縁は大本教に端を発する。昭和の初め筆者に竹内歴史と天理教大本教の予言を教えて呉れたのは海軍大佐矢野祐太郎氏で、神秘的な奇怪な書「神道密書」は矢野氏の口授を筆者が文章に編纂したものである。その矢野氏が大連の特殊機関長だった頃、紅卍会との提携を図った大本教の出口王仁三郎氏の蒙古旅行の便宜を図った。その時出口氏の護衛として一行に加わっていたのが武芸者植芝氏で、出口京太郎著「出口王仁三郎伝」にこの話しが載っている。戦争中白鳥敏夫氏の紹介で初めて植芝氏にお目にかかって以来、合気道の動きに注目して来た。

昨今「天の浮橋」と云ふ言葉をたどって合気道の人がよく言霊学を訪ねて来る。宮崎の野中日文氏、お医者の津田要一氏もその道の人である。植芝氏の指示によってパリで合気道の指南をしている中園雅尋氏から、玄米食の山口卓三氏の紹介で手紙を頂いたのは一昨年の暮で、以来毎月二回は質問や感想の信りを寄せて来られ、「言霊百神」が出版されてからはいよいよ熱心で、その都度出来る限りの返信をしたためて送っている。

中園氏の目標は武道と言霊学の天の浮橋を一つのものとして綜合究明しようとする所にある。植芝氏と筆者との約束を結び付けようとする有意義の修業である。まだ今日まで直接お目にかかる機会がなく、手紙だけの往復りで、時にもどかしく思われることもあるが、それだけのやり取りで熱心に理解を進めようとしている。

合気道は舞踊に似て自他の肉体が微妙なハーモニーを描き出しながらぐるぐる廻り合うことのように見える。天の御柱を立てて、浮橋の両端に対立して宇宙を生み出す岐美二神の自由な交流の姿さながらである。この時この調和から逸脱した方がたちまち腕を挫き脚を折る。だから合気は一面に武術である。何時も真剣勝負で、合気道には練習と云ふことがないそうだ。武道であり舞踊であるから、体だけではなく、同時に相手との霊気が交流する。その体と気の交流の相を、そのまま「掛け声」として捕へあらはして、五十音を以て発声して行く工夫を初めたと中園氏から云って来た。法然の称名(念仏)のようなやり方だろう。

言霊布斗麻邇イは今日まで三千年間天の岩戸に隠れている人類の第五の知性である。その言霊を目標として従来人間が用いて来た四つの知性である理性(エ)、悟性(オ)、感覚(ウ)、感情(ア)を以て捕えようとしても、すべて過ぎ去ってしまった後の追思Nach-denkenに終わる。言霊は中今に生きている生命の動きそのものの直接の自己表現であるから、反省では捕え得られない。言霊を考えるのではなく、言霊で、言霊が考える主体性の上に立たなければならない。事行Tat-handlungと言葉の三つ、心は意の三つが即の関係に於いて言霊そのものが生きることである。中園氏はこの言霊学と武道の新しい「天の浮橋」の修練の道に「かむながら合気道」と云ふ名をつけて、欧州に居る武道家達に教伝している。

(昭和四十五年九月、第三文明研究五十九号)

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